普段、「どうしたらいいの」っていうことにいつも頭が動いてる人は多いと思われます。
つまり、「これは、この問題はどうしたらいいのかな」と考えるわけです。
これは小さい頃からの教育のせいだと思います。
学校では、「これはこうするんだよ」とか、「これはどうしてどうやったらいいと思う」とか、「どうしたらできるようになると思う」とか、そんなことを教えます。
さらには失敗したら、「どうやったらその失敗しなくなると思う」とか、「ほらちゃんと言うこと聞かないから、違ったやり方するから失敗するじゃない」とか、親に言われながら育ってきました。
ハウツーの中に自分の望みはありません
私達はいつもハウツー、やり方はどういう風にするのかということに頭を巡らしています。
だからいつも、どうしたら上手くいくんだろう、どうやったら失敗しないんだろうって考えるわけです。
どうしたら、どんなふうに行ったらっていう風なことばかりに、いつもいつも頭が向かうわけす。
しかし、考えてみて下さい。
「どうやったら」という考えの中に、自分の本当の望みがあるのかということです。
実は、「どうやったら」っていう中には望みはありません。
「どうやったら」の奥には、「上手くやりたい」とか、「失敗したくない」っていう望みがあったりするかもしれません。
では「上手くやりたい」とか、「失敗したくない」っていうことの、そのもう一つ奥には、どんな望みがあるかというと、「怒られたくない」とか、「損したくない」とか、「誰かから失望されたくない」とか、「期待通りじゃないねって言われたくない」とか、「落胆したくない」とかそういう、望みのようなものがあるといえます。
これはネガティブな望みです。
つまり、私達が「どうしたらいいのかな」って、いつもいつも考えている事、そのベースは大体はネガティブな願望、ネガティブからくる願望です。
「こういう風になりたくないな」、「こんなふうに思われたくないな」、「こんな風にしたくないな」とか、そんなふうなそんなネガティブな否定的な願望があるから、いつもどんなやり方でそれをカバーできるかという方向に考えが向けられているのです。
そして、こんなことを考えてる時間が、非常に長いと思われます。
これが人生の苦しさになったり、本当の自分の望みをから自分を遠ざけてしまってることになるのかもしれないということです。
不確実なことについて、クヨクヨ考えることを止められるか
最近は新心理学とかスピリチュアルでも言われてる事ですが、「どうしたいの、あなたはどうしたいの」っていう自分の本当の望み、それは頭で考えてわかることじゃないのです。
つまり「どうしたらいいか」ということを考えて分かることではないのです。
結果が分からないことの結果を知ろうと考えない。自分で全部考えるということを止めることです。
それではどうしたらいいのか。
ここはハウツーに近いことなんですが、結局自分が先の不確実なことについて、クヨクヨ考えるということをどれだけ止められるか、そこから離れられるか、それをしていくことが大切です。
ただ考えないようにするということは実際には無理なことなので、「クヨクヨ考えても無駄だ」ということがハッキリ意識できることです。
考えること(クヨクヨ心配すること)自体で、ちゃんとした答えなんて出てこないんだということを自分が納得していくことが大切です。
どんなに心配して考えたって、ちゃんとした答えなんか出ないし、どんなに考えたって未来がどうなるかわからないし、確定もできないのです。
どんなに考えたって、現実を思うようにコントロールなんてできないんだということが分かることです。
クヨクヨ考えないと新しい感覚がひらめいてくる
ある意味考えることの諦め、自分でできるんだっていうことの諦め、この辺が自分の中でどんどん納得がいけばいくほど、そうすると他力といものに何かがあるんだなということが分かってくるわけです。
他力ということ、自分以外の力、それにドンドン自分がシンクロしていく、自分の力ではない流れの中に自分がシンクロされていくような感じが大切です。
そうなっていくとまた 生き方、人生が変わっていくはずです。
あれこれクヨクヨ考えないでいるって言う事の大事なポイントは何か、それは未来はどうなるかわからない、考えても大した答えなんか出てこないということを自分で納得していくことです。
そうして行くと考えないけど、「なんかこうなったらいいな」、「こういう風になったら楽しそうだな」のような感覚がひらめいてくるようになります。
ひらめいてくると、今度はそのひらめきが自分の気付きになります。
気付き始めると、それに関する情報が、自分の中にいろんな形で入ってくるようになります。
我々の脳はそうできてるのです。
気付きを増やすと選択肢も増える
自分に新しい気づきがあると、我々は現実の中から、そのことに関するいろいろな情報を集め出します。
集めるというよりも、元々周りにある情報に気がつきだすということかもしれません。
気が付くと面白くなります。
これいいじゃんとか、これやってみようかなとか、これやったら楽しそうだよね等と思い始めます。
これは「どうやったら良いの」のハウツーではありません。
「楽しそうだよね」
「良さそうだよね」
「これなんだろう」
「これ自分がアイデアで思い浮かべていたことだ、考えてたことが今ここにあった」
とか、そういういろんな新しい気付きが増えていきます。
気付きがどんどん増えていくと、自分の中で新しい選択肢が出てくるようになります。
そうすると、今まで「選ばなければいけない」と思ってたもの、もしくは「それをやるためにはこれを止めることを選ばなきゃならないこと」のようなものなんかどうでもよくなってきます。
もっと自分の選びたいもの選ぶ、今ここでやりたいこと、というものがとても大事になってきます。
そうなってくると面白くなります。
選択肢が増えると行動的になれます
そうやってその自分の中からインスピレーション、イメージ力、そういうのが湧いてくることで、もっともっと自分が行動的になれます。
自分が楽しい事をやる、楽なやりたいことをやるという意識がどんどん強まってきます。無理やりする努力とか、苦労とかではありません。
もちろん頑張るとか、ある意味での努力も必要だけれど、自分の中に自然と湧き上がってきたやりたいことだから無理なく取り組めます。
そうやっていると、目の前の現実が今までとは全然違う風景に見えてきたりします。
そんなことを体験しだすと余裕が生まれて、自分の中から「これいいね」という感覚が出てきます。
再度言います。考えても結論が出ないことをクヨクヨ考えても本当の望みは出てきません。
考えてもちゃんとした答えなんて出てこないと思えるようになればなるほど、楽になってきます。
そう割り切って行動していくと、気付き、選択肢が増えてきます。
その結果、自分の予想や想像を超えた何か、仕事だったり、人間関係だったり、もしかしたらお金の事だったり、人生だったり、想像を超えた考えも及ばない所の現実が自分の中で広がっていき、そしてそれが現実として経験できるようになります。