人は(私もそうなのですが)他人と自分を比較し他人を羨んだり、周りの人からどう思われているか気になったりとか、自分にしか感心を持たない自己中心的な部分があります。
それは良くない事で、直さないといけないということで、
「他人と比較することなんてやってはいけない」と思い、一時的にその思考を止めるのですが、暫くすると同じことを考えているという繰り返しです。
何か自分の考え方の根本を変える良い方法がないかと思っていた時、アドラー心理学というものを知りました。
この考え方はポジティブシンキングにとても向いていると思い、アドラー心理学を短くわかりやすくまとめたベストセラー「嫌われる勇気」などを参考に整理してみました。
アドラー心理学にトラウマは存在しない
アドラー心理学とはオーストリア出身の精神科医心理学者のアルフレッドアドラーが考案したものです。
アドラー心理学は現状を変えたいと思ってる人にはかなり有益な考え方だと思われます。
アドラー心理学ではトラウマは存在しないとされています。
例えば、
「親に何をやってもダメ出しされてそれがトラウマになって、何もやる気が出なくて引きこもりなってるんだけど」という人もいると思います。
これはアドラー心理学的に考えると、親のせいで引きこもったのではなく、引きこもりたいから引きこもっているということになるのです。
アドラー心理学では全ての結果に原因があるとは考えません。
全ての結果に原因があるとすると、過去の原因を変えられない限りは未来を変えられないということになります。
そして現在の科学技術では過去を変えることは不可能なのです。
つまり未来を変えることも不可能ということになってしまいます。
そうではなく、アドラー心理学では、原因よりも目的を第一に考えています。
目的を達成するために今の自分の行動があるのであって、決して過去の出来事が今の行動を決めているのではないのです。
引きこもりの例でいうと、原因が親のせいでトラウマができ、そのせいで引きこもるではなく、「外に出たくない、働きたくない」という目的があって引きこもるという行動に移っているということです。
アドラー心理学的に考える目的で行動が決まるこの目的論は、一見厳しい考え方のように思われますが、この目的行動はとても希望になる考え方なのです。
過去がどうであろうが、今から目的をしっかり決めればその目的に沿った行動を取れるのですから。
そして目的に沿った行動をとれば、少なくとも何もしていなかった時より良い人生を送ることができることになります。
つまり、過去に縛られることなく未来を変えることができるのです。
全ての悩みは対人関係にあり
アドラー心理学では人間の悩みはすべて対人関係の悩みと断言されています。
悩みというものは、だいたい他者との比較で生まれていると思えます。
例えば、お金がないとか、彼女ができない、もっと背が高ければなど、多くの男性が持っている悩みを適当にあげてみても、これらは全て他人がなければ成り立たない悩みなのです。
しかし、この地球に生きていくのであれば、他人と関わらずに生きていくのは不可能です。
全ての人の周りに人がいます。その人達と関係を持たざるを得ない場合がどうしても出てきます。
そしてこの対人関係において、使い方を間違えているのが劣等感です。
劣等感というのは理想に到達できない自分を、劣っていると感じることです。
劣等感と言うとマイナスなイメージがあると思いますが、アドラー心理学では劣等感があるからこそ前に進めるとしています。
例えば、「俺には学歴がない。でも負けずに成功してる」みたいにやる気を出すことに使われるのです。
しかし、「俺は学歴がないから駄目だ。成功できるわけがない」のように劣等感を言い訳で使うと前に進むことができません。これを劣等コンプレックスと言います。
他人と自分を比べることで劣等感を感じることが多いと思います。この自分と他人を比べることは競争心を起こします。
しかし、アドラー心理学では人生は競争ではないといいます。
対人関係に競争を持ち込むと、他人を敵だと思うようになります。すると周りの人間、全世界の人間が自分を攻撃する敵ということになってしまいます。
勝っても勝ってもきりがありませんし、打ち負かした相手から報復が来ることもあります。
これはとても恐ろしい世界ですなのです。
アドラー心理学では
「他人と比較するのではなく、自分の理想と比較せよ、他人は仲間と考え協力せよ、すると対人関係の悩みは減って世界は安全な場所になる」と言われています。
承認欲求を否定すると自由に生きられる「課題の分離」
人間関係を保ったまま、ありとあらゆる対人関係の悩みを解消し、自由に生きることができる方法、それは承認欲求を否定することだとアドラー心理学では言います。
他人から認められたいがために、他人の期待に応えようとするから人は不自由になるのです。
ではどうすれば他人の期待に縛られずに済むのか、それが「課題の分離」です。
アドラー心理学では「課題の分離」こそが人間関係のスタートであると言います。
「課題の分離」とは他人の課題と自分の課題をしっかり分けて、それぞれお互いに介入させないことを言います。
例えば子供に無理やり勉強させようとすること。これは他人の(子供の)課題に介入しているということになります。
イギリスのことわざにこんなものがあるそうです。
「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」
これは、他人に対して機会を与えることはできますが、その機会を生かすかどうかは本人のやる気次第ですよという意味です。
子供に無理やり勉強させたところで、効果は少ないのです。やる気がないのに勉強させても頭に入るわけないですから。
この場合、親の課題は子供を信じて勇気づけることで、勉強するしないは子供の課題です。
仕事の場合で、上司と馬が合わずストレスが溜まって仕事ができないと悩んでる人がいるとします。
これはアドラー心理学的に分析すると、上司のせいで仕事ができないというのは嘘で、自分が仕事ができないのを上司のせいにしているということになります。
仕事とは、本来は上司や社内の人間に気に入られることではないのです。
上司が部下に理不尽な対応をとるかどうかということは他者の課題です。
自分の課題は、「その会社でやるべき仕事をこなす」これのはずですから、上司がどんな態度を取ったところで気にする必要はないのです。それは自分の課題ではないのだから。
こう思うことは効果があるけれど、かなり難しいと思います。
でも逆にこの「課題の分離」を身につけられたらとても生きやすくなると思います。「人は人自分は自分」ですから。
ちなみにこの他人の課題と自分の課題、これはどう見分ければいいのかと言うと、その選択によってもたらされる結末を誰が受け入れるのがで決まります。
勉強の例では、勉強しないことで困るのは子供だけです。ということは勉強するしないは子供の課題なのです。
他人を変えることはできないが自分を変えることができる。そして自分が変わることで他人も変わることがある。これがアドラー心理学の根本の考えです
自分の居場所があると感じられる「共同体感覚」
「課題の分離」で対人関係がスタートしましたが、ゴールは何かと言うと共同体感覚です。
ゴールである「共同体感覚」とは他人を仲間とみなして、そこに自分の居場所があると感じられることです。
自分は相手に何ができるか、何を与えられるかということを考えるのが大事だとされています。
そして、対人関係をうまく築くポイントは他人を褒めてはいけないということです。
なんでと思いかもしれませんが、理由は、褒めるという行為は能力のある人が能力のない人を見下すという側面が含まれているからです。
褒めることで上下関係、つまり縦の関係が生まれてしまうわけです。縦の関係がある相手のことを仲間だと感じることは難しいのです。
そうではなく、他人を仲間だと感じるためには、対等な関係とか横の関係を築くことが必要とされています。
この関係を築くために、相手と同じ目線の高さから言葉をかけることが重要です。
例えば、あなたと対等な関係の人が仕事を手伝ってくれたとしたら、なんて言葉をかければいいと思いますか、
「偉いね」これは縦の関係です。
そうでなく「ありがとう」とか「助かったよ」と言った表現で、嬉しかった喜びを伝えます。
これが横の関係を築くのに必要なことです。
そうすると、他人を仲間だと思い、自分の居場所があると感じられることによって、対人関係のゴールである共同体感覚を得られるということになるのです。
共同体感覚を得るためには
アドラー心理学で他人は仲間で、自分はそこにいていい場所がある、と感じられるためには自己受容、他者信頼、他者貢献とこの三つが必要とされています。
1つずつ見ていきます。
自己受容
これは、できる自分も、できない自分もそのまま受け入れるということです。
勉強ができないとか、人と話すのが苦手とか、そういう悪い面も一旦丸ごと受け入れ、受け入れてからどうすればできるようになるか考えること、これが自己受容です。
他者信頼
これは文字通り他人を信じることです。
アドラー心理学では無条件で他人を信頼し続けると、相手も心を開いてくれるとされています。
でもそうすると裏切られてしまうことも起こります。
しかしここで課題の分離が出てきます。
裏切るかどうかは相手の課題であり、あなたが考えることでありません。この場合自分の課題は信じるか、信じないかだけなんです。
信頼することを恐れていたら、結局は誰とも深い関係を築くことができないとアドラー心理学では考えられています。
他者貢献
これは仲間に貢献しようとすることです。
アドラー心理学では、自分は誰かの役に立っている、みんなに必要とされていると思えた時にだけ自分の価値を感じられるとされています。
自分を犠牲にしてまで誰かに尽くすことを求めているのではありません。
ただ貢献することで、自分の価値を実感し、幸せを感じるということです。
貢献しているというのは主観的な感覚で構いません。だから他人にどう思われてるかどうかということは気にする必要はないのです。
つまり、承認欲求から解放されるわけです。